祭神 | ※推察となります ・櫛眞智命(くしまちのみこと) ・大己貴命(おおなむちのみこと) ・少名彦命(すくなひこのみこと) ・日本武尊(やまとたけるのみこと) ・大口眞神(おおくちまのかみ) ・廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと) 安閑天皇(あんかんてんのう) |
例大祭 | 4月15日 |
参拝形式 | 二拝二拍一拝 |
住所 | 中野区鷺宮5-12-1 |
鷺宮5-12にある御嶽神社は、オイノサマとも呼ばれています。
この神社は武州御嶽神社の分社で、御嶽講の人々が明治41年4月に建立しました。
境内にある碑には、弘化年間に悪疫が流行して多くの村人が病死したこと、御嶽に登山して平癒を祈ったところ、病気が回復したことなどが書かれています。
また、この境内の外側には、子どもが育たないので建てられたといわれる「子育て地蔵尊」があります。
「鷺宮の歴史をたどる 増補改討版」には「御嶽神社」について下記のように書かれていました。
-ふるさと鷺宮の記憶-「鷺宮の講・ 太平洋戦争当時の街の様子」
<<御嶽神社と御嶽講>>
「鷺宮5-12」に所在する御嶽神社(みたけじんじゃ)に小さなお宮があります。
この神社は武州御嶽神社の分社で鷺宮4丁目(中内)と6丁目(大境)の講員約30戸で維持管理されています。
毎年4月12日に参拝に行く武州の御嶽神社には、神主さんを務める御師(おし)と言われている人が経営するに代参が集まり、御嶽神社を参拝し護摩札(ごまふだ)を戴きます。
それを持ち帰り、4月15日に分社に集まり、祈願して各戸に配ります。
御嶽神社は作神様で、昔から農家の守り神として参拝する人が多くいました。
又、夏の日照り続きの時は御嶽神社の御神水を戴いて、これを分社に捧げて雨乞(あまごい)いの祈願を講員が集まってしたことがあります。(昭和30年代の前半の頃まで)-資料編-
~略~
現在の鷺宮3丁目30あたりには、御嶽神社(みたけじんじゃ)が祀られていました。
これは1572年(元亀3年)悪病が流行ったとき、武州御嶽神社(現青梅市内)にお参りに行ったところおさまったことから、篠源左衛門によって創建(そうけん)されたと伝えられています。
管理する人がなくなり昭和39年八幡神社内に移されました。
鷺宮5丁目12の御嶽神社(明治42年建立)や上鷺宮2丁目23の北原神社(大正11年建立)も御嶽神社などを信仰した講により建てられたものです。
~略~-鷺宮れきし散歩 第三弾-
御嶽神社:鷺宮5-12-1御嶽講41軒で明治41年4月に建立。
現在は29軒で管理しており毎年御岳山に参拝に行っている。
今の社は、昭和41年に建て替えられたもの。子育て地蔵尊(丸彫り):鷺宮5-12-1
施主に子どもが育たないので建てられたといわれており、この名で呼ばれるようになった。
[宝暦九己卯十月吉日(1759年)武州多摩郡上鷺宮村 施主 大野弥三郎]庚申塔と地蔵尊:鷺宮5-11-4
・地蔵(丸彫り)
上半分は破損している
[奉供養地蔵尊 講中三十六人 武州多摩郡上鷺宮村
願主 早船二郎左衛門 大野清右衛門]・庚申塔 青面金剛(笠付型)
壊れている
[延享二乙丒十月吉日(1745年)奉造立庚申尊像 武州多摩郡上鷺宮村
願主 篠太右衛門 講中二十八人]-鷺宮の歴史をたどる会 会報 第三号-
所在地 中野区鷺宮五—十二
~略~
碑文によれば弘化年間に悪疫が流行して多くの村人が病死したそうです。御嶽祠
記念碑
東京府豊多摩郡野方村大字上鷺宮字大境中内有一社御嶽神ト称ス
當国西嶺座御嶽大神分祀ト云此郷一詞ヲ創立所以者住昔
弘化年間悪疫流行シテ各戸病床ニ臥スモノ枚挙ニ遑アラス因テ村内大野権三郎及大野忠右衛門早船惣右衛門大野重兵衛等協議之上
御嶽ニ登山シテ該病平癒ヲ祈誓ス故大神之稜威顕然トシテ悉ク癒爾神恩為奉報一祠創設為記念云爾
明治四拾壹年四月吉日之建
~略~
「鷺宮文化村-ふるさと鷺宮-」には「御嶽神社」について下記のように書かれていました。
オイノサマとも呼ばれている
「中野区史跡ガイド」には「御嶽神社」について下記のように書かれていました。
鷺宮橋を渡り踏切を越えます。十字路を右折し東に進むと地蔵尊が見えてきます。
この地蔵尊は、施主に子供が育たないので建てられたものといわれ、「子育て地蔵」とも呼ばれています。
道を隔てて庚申塔と地蔵尊(鷺宮5-11-4)があります。
年号:元文三 午戌
月:十一 日:吉
刻像:地蔵
銘文:奉供養地蔵尊
講中三十六人 武州多摩郡上鷺宮村
願主 早船二郎左衛門 大野清右衛門
碑型:丸彫り
所在地:鷺宮五丁目十一(旧鷺宮五丁目五三二)
備考:破損し庚申塔と共に畑の隅に置かれている
台座石のゑと道、いぐさ道と刻まれている
年号:宝暦九 卯己
月:十 日:吉
刻像:地蔵
願主 武州多摩郡上鷺宮村
施主 大野弥三郎
碑型:丸彫
所在地:鷺宮五丁目十二(旧鷺宮六丁目八七六)
備考:西武電車踏切の北三〇米十字路の角に建っている
※参考:中野区資料館 資料叢書第四号 東京都中野区内の石仏 東京都中野区教育委員会(昭和四十三年三月三十一日 発行)
碑文。
詳細は「鷺宮の歴史をたどる 増補改討版」に書かれている「御嶽詞」参照