祭神 ・天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)
・榛名山(はるなさん)
・武州御嶽山(ぶしゅうみたけさん)
例大祭 4月15日
参拝形式 二拝二拍一拝
住所

北原神社01「北原神社」は大正11(1922)年、この辺りの鎮守社として創建されました。
大正のはじめ頃、奈良漬けの高騰で大収入を得た農家の人々が、その感謝として建てたものです。「北原神社」の「北原」は、かつて上鷺宮にあった「御嶽神社」の昔の土地の呼び名であった「北原」に因んで付けられているとのことです。
※北原(現在の上鷺宮1丁目、2丁目辺り)

 

北原神社 拝殿地元の人々は、愛着をもって「きたっぱら神社」とも呼んでいます。
現在は「北原講中崇敬会」により管理され、境内には「上鷺東公園」近くにあった、道しるべを兼ねた庚申塔があります。


「中野区民族調査第一次報告書 鷺宮」には「北原神社」について下記のように書かれていました。

引用:中野区民族調査第一次報告書 鷺宮
平成9年3月31日発行
編集・発行:中野区教育委員会

・北原における講組織
北原講中
キタハラ(北原)は現在の上鷺宮1丁目、2丁目あたりをいう。
ここでは旧村時代からの家々が「講中」と呼ばれる信仰的組織を結成している。
北原の「講中」は「北原講中」と呼ばれており、北原の鎮守である北原神社(上鷺宮2-23)を中心として、その崇敬者で構成されている。
北原講中には、現在38軒の家々が加入している。
北原神社は北原の鎮守として大正11年に創建された。
祭神として天照皇太神宮、榛名山、武州御嶽山の三神が祀られている。
北原神社の境内では、正月15日のドンヤキが行われたりしているが、毎年4月15日が神社の大祭となっている。
この日には講中の者が集まり、一同で神酒をいただく。
今では社殿が新しくなりその中で行われているが、以前は境内で御神酒をいただいた。
また、八幡神社の宮司に祝詞をあげてもらっている。
~略~
日照りが続いた時の雨乞いの祈祷も、この講中で行った。
北原神社に皆が集まり、般若心経を唱えたという。
また雨乞いの時には武州御嶽神社へも参拝に行ったことがあるそうだ。

 

「中野区史跡ガイド」には「北原神社」について下記のように書かれていました。

引用:中野区史跡ガイド
平成元年10月1日初版発行
編集・発行:中野区教育委員会
山崎記念中野区立歴史民俗資料館

上鷺宮東公園の先を左にしばらく行くと北原神社です。
この境内には付近から移された道しるべを兼ねた庚申塔があり、側面には「右ぬくい道、左やわら道」ときざまれています。
この付近では正月14日に、暮れに使ったスス払いの竹や、正月のしめ縄、門松を燃やす「どんど焼」の行事も行われていました。

 

「鷺宮文化村-ふるさと鷺宮-」には「北原神社」について下記のように書かれていました。

引用:鷺宮文化村-ふるさと鷺宮-
2016年3月発行
発行:鷺宮区民活動センター運営委員会

大正始め、奈良漬けの高騰により、農家の人々は一夜にして大収入を得た。
感謝して、上鷺宮の神社として大正11年に建立した。
当時の悪病の退散と、また雨乞いなども祈った。

 

「鷺宮の歴史をたどる 増補改討版」には「北原神社」について下記のように書かれていました。

引用:鷺宮の歴史をたどる 増補改討版
2009年(平成二十一年)6月十三日 初版
発行:鷺宮の歴史をたどる会

・北原における講
北原は、現在の上鷺宮1、2丁目あたりをいいます。
ここでは旧村(きゅうそん)時代からの家々が講中と呼ばれる信仰的組織(しんこうてきそしき)を結成しています。
北原の講中は「北原講中」と呼ばれ、北原の鎮守である北原神社(上鷺宮2丁目23番地)を崇敬(すうけい)する人々で構成されています。
北原神社は1922年(大正11年)に創建され、祭神としては天照皇太神宮、榛名山、武州御嶽山の三神が祀られています。
毎年4月15日がこの神社の大祭で、この日には講中が集まり、一同で御神酒(おみき)をいただくといいます。

・北原での榛名講
上鷺宮では今でも榛名講が続いています。
1987年(昭和62年)4月9日、「代参百八拾回記念」と記した記念碑を榛名神社の参道に建立(こんりゅう)し、除幕式の神楽が奏上されました。
北原講では、年に3回、御日待(おひまち)を行います。
1月、4月、9月に榛名神社に参拝し、お札をいただいて帰り、講員に配布しています。
御日待の宿(やど)は各戸まわりでしたが、今は北原神社です。
現在(平成13年1月)、榛名講は18名です。この他、北原には般若講、念仏講などもありました。

・北原神社
北原講中(現36軒)崇敬会により管理。
上鷺宮東公園近くにあった、道しるべを兼ねた庚申塔が境内に移されている。
[明和八年?(1771年)みぎぬくゐ道(貫井)ひだりやわら道(谷原)]

 

「まつりと講」には「北原神社」について下記のように書かれていました。

引用:中野の文化財No.3 まつりと講-ふるさと中野の民族と行事Ⅱ
昭和54年3月31日 発行
編集・発行:中野区教育委員会

上鷺宮には、およそ五百年ぐらいの社歴をもっていたと伝えられる御嶽神社がありました。
昭和三十九年に鷺宮の八幡神社に合祀されましたが、この神社の跡地には、昔の地名に因んで新しく北原神社がお祀りされています。

農家の人々が五穀豊穣を祈念する作神様として、五百年にわたりお守りされてきたのでしょう。
この神社をよりどころに、榛名講・御嶽講・伊勢講の三つの講が現在も続いています。


北原神社 庚申塔北原神社の庚申塔。
刻像:青面金剛
碑型:笠付型

 

 

 

北原神社_庚申塔02左 やわら道

願主 篠勝右衛門
鷺宮村講中三拾八

 

 

 

北原神社_庚申塔03年号:明和八 辛卯
月 :十
日 :吉

銘文:奉造立青面金剛講中
二世安楽所

右 ぬくい道

 

※参考:中野区資料館 資料叢書第四号 東京都中野区内の石仏 東京都中野区教育委員会


北原神社 手水舎北原神社の手水舎。

 

 

 

 

 


北原神社 神額北原神社の鳥居。神額。

 

 

 

 

 

北原神社 鳥居 裏

 

 

 

 

 

北原神社 鳥居 裏昭和七年十月一日建之


北原神社 碑文大東京市記念碑

 

 

 

 

 
北原神社 碑文 裏

 

 

 

 

 

北原神社 碑文 奉納 土地三十五坪 御大典紀念碑 榎本磯吉

 

 

 

 

 
北原神社 碑文 裏

 

 

 

 

 


・北原神社