祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
ご利益 五穀豊穣・開運招福・商売繁盛・疫病除、他
例大祭 ・2月初午 ※立て札に記載
・6月24日 ※東京都神社名鑑に記載
参拝形式 二拝二拍一拝
住所
須賀稲荷神社

須賀稲荷神社

かつてこの一帯は江古田原と呼ばれ、現在のこぐま公園のある場所に、悪疫の流行を防ぐ牛頭天王(素盞鳴尊)と五穀豊穣を司る稲荷(宇迦之御魂命)の二つの小さな祠を祀っていました。

土地の人々は「原の天王さま」「じくじく天王」、小高い塚になっていていたため「稲荷塚」と呼び、また太田道灌が江古田原において合戦するにあたり、戦勝を祈願した神社でもあります。

 

須賀稲荷神社

須賀稲荷神社

昭和四十七年、こぐま公園のところを売却した資金をもって、現在の場所に二神を合祀、社殿・神楽殿・公民館を竣工、「須賀稲荷神社」として再建したとのことです。

こぐま公園(中野区江原町3丁目17番地)


東京都神社名鑑には下記のように書かれていました。

・由緒
当社は文明九年(一四七七)太田道灌が、石神井・練馬両城を攻め、江古田原において合戦するにあたり、当社を崇敬し戦勝を祈願したという。
昔、江古田相原の衆落の守護神として、武徳優れ悪疫流行を防ぐ神として素盞鳴尊と、五穀豊穣農業繁栄の神として宇迦之御魂命を祀り、原の人びとの崇敬厚き神社で、天正十九年(一五九一)検地のさい、社地六畝七歩除地となり、社殿は明治十三年九月改築した。

・戦後の歩み
昭和四六年十一月中野区役所(大田正二区長)に、区の児童遊園として売却し、その資金をもって静かな風光明媚な土地を境内地として購入し、「ここに昭和四十七年六月、社殿・神楽殿・社務所を竣工し、地域住民の崇敬厚き神社として、ますます繁栄今日に至っている。


須賀稲荷神社 立て札

 

 

 

 

 

境内の立て札には下記のように書かれていました。

はるか昔から、中野区江原町3丁目17番地(現・こぐま公園のある所)に二つの小さな祠があり、それぞれ牛頭天王(ゴズテンノウ)と宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)が祀られておりました。
その祠の西側では清水がこんこんと湧きでて、細い流れをなしていたことから、土地の人々が五穀の豊穣と疫病除けを祈願して祠を祀ったものだと伝えられています。
悪疫の流行を防ぐ神として「じゅくじゅく天王様」と庶民から親しまれ、多くの信仰を集めてきました。
牛頭天王は悪疫を防ぐ神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一され、また社名の「須賀」とは、天照大神の弟である素戔嗚尊が出雲の国の斐伊川の上流でヤマタノオロチを退治した時に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と述べ、宮居を創立したという故事にもどつき名づけられた名称です。
「宇迦之御魂」は稲魂(イナダマ)の意で、「稲荷」の語源である稲成(イネナリ)、つまり、稲の育つ様を言い表した言葉から来たとされています。
江原町は昭和30年代になって、人口増と東京オリンピック開催を契機に道路整備が進捗し、目白通りの交通量が激増し、天王様の境内での祭礼、町の諸行事の開催は危険な為、困惑しておりました。
地元有志の努力により現在地に二神を合祀して移転し、昭和42年2月13日に宗教法人須賀稲荷神社を創立、昭和47年1月に諸建物の建設を起工、同年6月25日に神社、社務所(公民館併設)、神楽殿が完成しました。その後江原町公民館運営委員会や町会、若睦が管理運営を行ってきましたが平成17年5月29日「須賀稲荷神社氏子会」が発足され現在に至っています。


須賀稲荷神社 江原公民館記念碑江原公民館記念碑

須賀稲荷神社と江原公民館建設の由来

昭和四十九年十月吉日

 

 

須賀稲荷神社 江原公民館記念碑 裏江原公民館記念碑 裏

 

 

 

 

境内の江原公民館記念碑には下記のように書かれていました。

ここ江原町一帯は、昔江古田村原と称し土地の人々は惡疫の流行を防ぐ牛頭天王と五穀豊穣を司る稲荷社を祀り、原の天王様と称して信仰があつかつた。

例年六月二十四日に祭典を行つていたが、都市化の進展に伴つて祭事も途絶えかちになり
昭和三十六年頃町会役員と若睦の間に神社と公民館建設の気運が高まり
昭和三十八年十二月にこの敷地を買入れ天王様と稲荷様を移した
昭和四十年七月建設委員会を結成し昭和四十二年五月新たに宗教法人須賀稲荷神社を建設し旧社地(現在こぐま児童遊園のところ)を処分した資金をもつて昭和四十七年六月に社殿、神楽殿及び公民館が竣工した。
この神社は宇迦之御魂命、素盞嗚尊を奉賛し地域住民の安泰を祈願する祭神である。

終りにこの事業達成の日を待たず他界した、堀野良之助、高崎高光両氏の霊に報い冥福を祈りここに事業完成の記念碑を建立する。

昭和四十九年十月吉日



須賀稲荷神社 新道記念碑新道記念之碑

維持 大正十二年四月吉辰 応需芳山

磯山權作撰并書

 

 

 

須賀稲荷神社 新道記念碑 裏


須賀稲荷神社 手水鉢

拝殿横にある手水鉢。

裏には「昭和十五年 出水」と書かれています。



・須賀稲荷神社