祭神 ・須佐之男命(素盞嗚命)(すさのおのみこと)
・稲田姫命(いなだひめのみこと)
・大己貴命(おおなむちのみこと)
神紋
宝物 石狗一雙、祭神木造像三体(共に室町時代の作)
ご利益 厄除、除災招福、他
例大祭 9月15日
参拝形式 二拝二拍一拝
境内神社 ・稲荷神社:宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
・北野神社:菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
・御嶽神社:国常立命(くにのとこたちのみこと)
・塩釜神社:塩椎老翁大神(しおつちのおじのおおかみ)
住所 〒164-0003 中野区東中野1-11-1
TEL 03-3361-2465
東中野氷川神社

東中野氷川神社

東中野氷川神社は、旧中野村の鎮守社です。
このあたり一帯は、その鎮座にちなみ、昭和41年頃まで氷川町と言われていました。

また、東中野氷川神社は、現在も区内の総鎮守とも言える地位であるとのことです。

「新編武蔵風土紀稿」には「鎮座ノ年代詳ナラズ」と記されていますが、社伝によると長元3(1030)年に源頼信が平忠常を征討の際、武蔵国一の宮である氷川神社の神霊を勧請したのが起原と言われています。

東中野氷川神社

東中野氷川神社

室町時代、応永年間(1394~1428)に、別当寺であった宝仙寺の聖永(しょうえい)が社殿を改築、文明9(1477)年4月、太田道灌が豊島兄弟を攻略する際、戦勝祈願がかない、社殿を造営したとのこと。

 


東京都神社名鑑には下記のように書かれていました。

出典:東京都神社名鑑

当社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(一〇三〇)に源頼信が平忠常を征討のさい、武蔵一の宮の氷川神社の神霊を勧請したことによる。

応永年間(一三九四 – 一四二八)、宝仙寺中興の僧聖永が改築し、文明九年(一四七七)には太田道灌が練馬・石神井両城に豊島兄弟を攻略するにさいして戦勝を祈願し、凱旋の後、社殿を造営報賽した。

江戸時代には護摩修行が行われ、湯立神楽をあげ淀橋・上宿・下宿西町・仲宿・打越・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いあった。

豊年には獅子舞・相撲・力石競べ等も行われて近在をあげての盛大な行事となっていた。

明治・大正期の華麗な神輿や山車の順行は今も語り草なっている。

明治十年拝殿・同十五年本殿を改築し、昭和三年参道を開き、神橋を架設する等境内を整備した。

・戦後の歩み
大きな戦禍はまぬがれたが、本殿の一部を焼失したため戦後すぐに改修した。
昭和四十三年、明治維新百年を迎えるにあたり、その記念事業として社殿の改築を行い、さらに玉垣・渡り廊下を整備し、昭和四十四年九月社殿竣工奉告祭を斎行した。


神社名鑑(昭和三十七年 十月 印刷、昭和三十七年 十一月発行)には下記のように書かれています。

出典:神社名鑑

由緒沿革
長元三年源頼信が平忠常を征討の際大宮氷川神社を勧請したといゝ、応永年間宝仙寺の中興の僧聖永社殿改修、文明年間太田道灌の戦勝祈願あり、後社殿を造営し報賽。明治五年村社に列す。


出典:中野区誌

當神社は古く中野村の鎭守社にして祭神は素盞嗚尊を主神とし、櫛稲田姫命、大己貴命を合祀す


維新前は新義眞言宗寶仙寺當職として奉仕せるも、其の剏建の年代詳かならず。

蓋し寶仙寺は大永四年兵燹に罹り、佛殿增坊悉く鳥有に歸したれば、其の記録を止めずと。
唯だ口碑傳へ云ふ。

人皇第六十八代後一條天皇の御宇、長元三年[九〇二年前]上總介平忠常、中野に城き叛するに及

び征討の將甲斐守源賴信之が鎭護の爲め、武州大宮氷川神社より神靈を勸請して、玆に小祠を營

みたるに起因し、同年間、舊中野村名主堀江氏の遠祖堀江兵部、社殿を修覆す。

降て正平十六年太田資益[誤りか]之を修復して以來、中野の地は太田氏の領となる。

其の後應永年間、寶仙寺中興の儈聖永、社殿を改築す。
文明九年四月十三日太田道灌の石神井城を攻略するに際し、當社に參籠して戰勝を祈り、自ら杉
數株を献植したるが、果して凱陣の後、更に社殿を造營して奉賽す。

爾來氷川大明神と稱し太田氏の尊崇篤く、中野舊家の諸氏また相繼で奉仕し、郷土の氏神と仰ぐ

又『新編武蔵風土記稿』に載する所、左の如し。

氷川社、除地一町二反八歩、村の中央より南東の方に寄りてあり、本社は一間八尺、本地十一面觀音の立像一尺七寸五分なるを安置す。前立に素盞嗚尊、稲田姫、大己貴命の木像三體を安ず、各長一尺七寸二分、拝殿三軒半に三間、鳥居二基あり、一基は木にて、一基は石なり、左右に松杉竝立てり、鎮座の年代詳ならず。
正五、九月の二十七日神酒供す、村内寶仙寺持。(文中の所謂十一面觀音は、今除かれて寶仙寺に移す)。
別に攝社あり。

北野神社は菅原道眞公を、御嶽神社は國常立命を、三峰神社は伊邪那岐を祀る尚明治四十四年に三柱神社及び荒澤神社をも合祀したり。
~中略~
拝殿に掲ぐる氷川社の金字額は、勝海舟の筆なり、別に山岡鐵州書の扁額あり、又社前に老櫻樹あり、昔徳川将軍家の小金井堤に吉野の櫻を移植せられし時、名主堀江氏その一株を賜りて奉獻せしものにて、爾來百有餘年毎に陽春の社殿を彩れり。
~中略~
明治元年寶仙寺當職を廢し、同五年十一月村社に定められ、氷川神社改稱し、同十五年氏子相議りて社殿を改築す、同四十年五月神饌幣帛料供進社に列し、同四十一年十二月會計規則適用の儀指定さられたり。
~中略~
中野氷川神社の後丘を俗に中野公園と云ふ~中略~園中に由來を記せる碑を建つ、
~略~


なかの史跡ガイド(中野の文化財 No.16)には、下記のように書かれています。

出典:なかの史跡ガイド
境内には慈眼寺の僧覚順による安政6年(1859)の敷石供養塔をはじめ、力石、鍋屋勘右衛門寄進の石鳥居などが丘の木立のなかに点在しています。
~中略~
なお社殿の裏奥の林にある明治初期の神道学者で国文学者でもあった福羽美静(ふくばびせい)撰文の碑「中野公園の記」があります。
今は中に入ることはできませんが、当時のこの付近の情景が記されています。



東中野氷川神社 拝殿前 立て札
立て札には以下のように書かれていました。

■中野の氷川神社

この神社は、旧中野村の総鎮守(ちんじゅ)社で、創建は長元三年(一〇三〇)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請(かんじょう)したと伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築したと伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。
祭神は須佐之男尊(すさのおのみこと)、稲田比売尊(いなだひめのみこと)大己貴尊(おおなむちのみこと)の三柱で、例祭は九月十四・十五日ですが、もとは二十六・二十七の両日でした。
江戸時代には護摩修行(ごましゅぎょう)が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟(のぼり)や提灯(ちょうちん)の美を競いました。
豊年には、獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。
明治・大正期の華麗な神輿(みこし)や山車(だし)の巡航(じゅんこう)はいまも語り草になっています。
拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を多く語る遺品があります。

昭和五十七年二月
中野区教育委員会


東中野氷川神社 鳥居1南参道の鳥居。
裏には「氏子中」、「大正七年 九月 建之」と書かれています。

 

 

 


東中野氷川神社_社号参道にある社号碑。

裏にはかつての満州軍総司令官「陸軍大将本庄繁 書」、
「奉納 中野飯塚宗次郎」「昭和十年九月建之 小俣 祐治」と書かれています。

 

 


東中野氷川神社 南参道 灯籠南側の参道にある大きな御影石の灯籠。

裏には「昭和三年十一月吉祥日」「昭和七年九月建」「東京市郡併合記念」と書かれています。

 

 

 


東中野氷川神社 鳥居2参道にある鳥居

裏には「當町西甼 願主 山崎又吉」「昭和二年九月吉日建之」と書かれています。

 

 

 


東中野氷川神社 鳥居3南側参道にある明神鳥居。

裏には「文久二 壬戌 年九月」「願主 鍋屋勘右衛門」と書かれています。

この「鍋屋勘右衛門」は、鍋屋横丁の名の起こりになった、茶屋「鍋屋」の主人が寄進した鳥居です。

 

 

東中野氷川神社 鳥居残欠南側参道横にある鳥居の残欠

裏には「和三 癸亥 年 九月吉日 當村惣氏子中 北八町堀 石工 五郎右ヱ門」と書かれているとのことですが、欠けていて読めませんでした…。

 

 

 


%e6%9d%b1%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%b0%b7%e5%b7%9d%e7%a5%9e%e7%a4%be_%e8%a5%bf%e5%81%b4%e9%b3%a5%e5%b1%85西側の参道の鳥居。

裏には「平成八年十一月建之」と書かれています。

 

 

 

 

%e6%9d%b1%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%b0%b7%e5%b7%9d%e7%a5%9e%e7%a4%be_%e8%a5%bf%e5%81%b4%e7%a4%be%e5%8f%b7西側の参道横の社号


東中野氷川神社 神楽殿神楽殿。
江戸時代の祭礼では、常任の神職がおらず、江戸時代の文政元(1818)年の書付を残す名門の神楽師石山家の神楽を奉納していたとのこと。
現在の祭礼時も、石山社中による神楽を奉納しています。


東中野氷川神社 石橋供養塔慈眼寺の僧覚順(かくじゅん)の名が刻まれています。
覚順(鍋横区民活動センター運営委員会)
左供養塔 右面「氏子中 願主 覺須 石工 三右ヱ門 當年八十三才」
左供養塔 左面「安政六 己未 歳九月吉日」
右供養塔 右面「當村惣氏子中」
右供養塔 左面「安永六 丁酉 十二月吉日 願主 當下町 大戸権兵衛」

区登録・指定文化財


東中野氷川神社 忠孝碑御大典記念碑と機雷

「忠孝」の文字は、元海軍大将井出謙治の筆によるもの。
隣の機雷は、元陸軍大臣寺内正毅から、日露戦争の戦利品を贈与されたものであるとのことです。


東中野氷川神社 力石力石

拝殿の横に置いてある力石。
力自慢を競った石であり、持ち上げた人の名前と石の重さが刻まれている。


東中野氷川神社 西側参道 狛犬左西側参道の狛犬

裏には「昭和十六年 四月吉日」「中野區青年團 第七分團」と書かれています。

 

 

 

東中野氷川神社 西側参道 狛犬右

 

 

 

 

 


東中野氷川神社 燈籠西側参道右手にある燈籠

【右】奉獻 石燈籠 一基 武州増上寺 惇信院殿 尊前
寳歴十一 辛巳 年六月十二日 下野國大田原城主 従五位下出雲守丹治姓大田原友清

【左】奉獻 石燈籠 一基 武州増上寺 惇信院殿 尊前
寳歴十一 辛巳 年六月十二日 従五位下永井信濃守 大江直國


%e6%9d%b1%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%b0%b7%e5%b7%9d%e7%a5%9e%e7%a4%be_%e6%8b%9d%e6%ae%bf%e5%89%8d_%e7%87%88%e7%b1%a0%e5%b7%a6拝殿前 燈籠

 

 

 

 

%e6%9d%b1%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%b0%b7%e5%b7%9d%e7%a5%9e%e7%a4%be_%e6%8b%9d%e6%ae%bf%e5%89%8d_%e7%87%88%e7%b1%a0%e5%8f%b3拝殿前 燈籠

 

 

 

 

東中野氷川神社 拝殿前 燈籠裏拝殿前 燈籠

庚萬延 元年中 四月 吉祥日


東中野氷川神社 境内神社右 手水鉢境内神社右にある手水鉢
奉寄進手水…
氷川大明神寳…
寳永五 戊子 三月吉…
連施主…

一部が隠れていて全てを読むことができませんでした。


東中野氷川神社 境内神社 塩釜神社境内神社の塩釜神社

祭神は塩椎老翁大神(しおつちのおじのおおかみ)です。

安産のご利益があります。

 

 

東中野氷川神社 境内神社 稲荷神社境内神社の稲荷神社

祭神は宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)

商売のご利益があります。

 


 東中野氷川神社 境内神社 御嶽神社境内神社の御嶽神社

祭神は国常立命(くにのとこたちのみこと)

火伏せのご利益があります。

 

 

 

 東中野氷川神社 境内神社 北野神社境内神社の北野神社

祭神は菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

学問のご利益があります。


東中野氷川神社 庚申塔庚申塔
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られています。
正月には松飾が付けられるとのこと。

寛文九年己酉年 十一月一日と書かれています。
区内最古の庚申塔であるとのこと。


東中野氷川神社 拝殿前 狛犬左拝殿前の狛犬。

狛犬改修記念 平成十九年九月と書かれています。

 

 

 

東中野氷川神社 拝殿前 狛犬右


東中野氷川神社 神額拝殿の正面には「勝海舟」の書である神額が掲げられています。