祭神 | 菅原道真公(すがはらみちざね) |
ご利益 | 合格祈願、学業成就、五穀豊穣、雷除け 他 |
例大祭 | 9月25日 |
参拝形式 | 二拝二拍一拝 |
住所 | 東京都中野区中央5丁目19番18号 |
杉並区と境を接する位置にあり
公孫樹が目印の西町天神は、
境界を守護するという性格を
もっていたと考えられるとのこと。
「中野の神社をたずねて 南部編」には、以下のように書かれていました。
寛政12(1800)年に書かれた『鎮守祭礼 神事仕来 御尋 二付書上帳(ちんじゅさいれい しんじしきたり につきかきあげちょう)』によれば、当時は10年に1度くらいの割合で、十二座神楽(じゅうにざかぐら)や湯花神楽(ゆばなかぐら)も行っていたようだ。
かつては弁天池と呼ばれる池があり、そこから湧水が水路を作って、桃園方面の田んぼの水源となっていたそうだ。
当時は水車もあり、現在でも水車坂という名が残ってる。境内にある大銀杏も有名で、昭和54年の台風で一度倒れてしまったが、地域の人々の熱心な手当のおかげで、現在は実をつけるまでに回復している。
※湯花神楽(出典:「中野の神社をたずねて 南部編」
湯花神楽、伊勢神楽とも呼ばれ、もともと伊勢神宮で
行われていた神事が全国に広まったものといわれる。
神前で大釜に湯を沸かし、それを笹の葉で参列者に振り掛けることでお浄めを行った。
それに合わせて舞いを行い、里神楽の一演目にもなっている。
鍋横区民活動センターには、以下のように書かれています。
出典:鍋横区民活動センター
杉並区と境を接する位置にあり、もともとこの神社は
境界を守護するという性格をもっていたと考えられます。
ここには水神弁財天豊穣保食の稲荷神が共に合祀されています。
社の入り口にある大いちょう(公孫樹)は、地上5mくらいから上がありません。
江戸時代にはすでに大木として近在に知られていたこの木は、
昭和54年の台風によって根株もろとも倒れてしまいました。
何とかこの木を助けたいと考えた地域の人たちが費用を出し合って蘇生のための手当を行いました。
その結果、幹の大部分を切り落とし切り口を保護するための蓋をかけた現在の姿になり、
熱心な于当のおかげで今では実をつけるまでに回復しています。
裏には、平成五年九月吉祥日
永井 直子 寄進と書かれています。
第二皇子殿下御降誕記念
陸軍大将男爵本庄繁謹書
明治二十年十月、(鳥居裏右)西町 囲中建之
酉九月吉日
中野町追分 石工
田中酒造
九月成
東京都中野区中央5丁目19番 西町天神